手を抜くことが苦手なわたしたち

ひとりごと

手を抜きなよ、力を抜きなよって言われてきた

仕事とかで「もっと肩の力抜いていいのに」って言われたり、頑張りすぎて「あの人は手を抜くの上手だな、うらやましいな」って思ったり。

そんな社会人生活を7年半送っていました

人から褒められることが嬉しい

これができるようになった!っていうよりも、人からの評価や順位、口コミとかが正義だと思っていて(実際もそうなのかもしれないけど)そこが上がることが一番の喜びで下がることが不安すぎて頑張らないことができない、っていう状況がずっと続いていました。

人に褒められることが一番の喜び、なのが危険だった

もちろん、それが正しい何が間違いなのっていう正義もあるとは思っていて。でもそれを強く思いすぎるのは危険かなって。

なぜなら、そう思う人はもうみんな本当に頑張っている。生きているだけで呼吸をするだけでえらい。そんなの詭弁って思っていたけど今はそう思うように、人にも思えるように訓練しています。頑張りすぎて心身のバランス壊したからこそ思えます。

んじゃ人に褒められることが一番の喜びっていう思考は何からきているのというと自尊心が低いこと。自分なんて…って思うことだったんです。

承認欲の塊、自尊心が低いことが招くこと

「いい子」でいることが正義

いい子だね、仕事できるねって言われてきたり、そうなろうとしてきた人ほど自尊心が低いと思っていて。それって、「なにもできない自分には価値がない」と思ってしまう思考になりやすい。

例えば、私は「女らしさ、料理ができること、勉強ができること、仕事ができること、ちゃんとしていること」ができなくなったときに、無価値と感じてしまって人よりも落ち込みがすごい。似たような感情をもっている人はいるんじゃないかなって思う。

でもそう思う人は、例えば大事な人がそれができなくても「そんなに落ち込まなくていいのに、存在してくれているだけですごいのに」って思う感情をぜひ自分に向けてほしい。だって自分が本当は自分が一番大切で大切にしなきゃいけないから。

いい子→頑張る→いい子の悪循環

もう、タイトル通りなんだけど、いい子頑張るいい子の悪循環で「できるよね、すごいよね」って言われたらそれをもっともっと頑張らなきゃって頑張って「できるよね、すごいよね」って言われてうれしくなって、の悪循環。

でもそれってどこかで頑張れなくなっちゃうよね、だから「できない自分も自分で認めてあげる」「存在しているだけで価値がある」自尊心が必要なんですよ。自尊心がないとね、パンクしちゃうよ。

人に求める「なんでこれができないの」

できる人がありがちな、人に「なんでこれができないの」って思うのはもちろん仕事で数値とか最低限なものはあると思うけど人よりも過剰な場合は、原因は実は自分にあると思うの。自分が自分の何もできなくてもいい自分に価値を感じられていない(=自尊心が低い)から。

自分に課した「これができないとだめだ」っていう高いハードルを人にも課してしまいがち。過剰な場合はぜひね、立ち止まって自分を大切にすることから始めてほしいのよね。

お花に対して「なんでピンクにならないの」とは思わない

お花ってあるだけで素敵じゃないですか?私は大好きなんだけど、白い百合に対して「なんでピンクにならないの?」とは思わないよね。あるだけで素敵で存在価値がある。

実際、読んでくれているあなたにも、いるだけで存在の価値はあるんだよって伝えたい。大事にしてほしいし、大事にしてくれるひとはいる。頑張らなくてもあなたが好きだよって言ってくれるひとはいます。

もちろん、頑張っていることを否定したいわけではないんだけどね。でも大事にしてくれないひとはプライベートでは仲良くしなくてもいいと思う!!!!!

自尊心が低くてダメンズを引き当ててきた私。

自分の価値を低く見積もってきたので「自分はこのくらいの扱い」っていう程度が低いほど安心するし、丁寧に大事にされると戸惑う、居心地が悪かった。だからこそいわゆるダメンズと呼ばれる部類の人へ安心感を持ってお付き合いしてましたね。

むげな扱いをされても別に気にならないんですよね。自分ってそのくらいの価値しかないって自分が思っちゃっているから。でも大事な人がそんな考えなのいやじゃないですか?

大事にされないなら付き合わない!!!!ってやっと気づけたなあって思います。

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